私たちはこのもやしの成長過程を、もやしのあるべき成長の姿と信じて、創業以来一貫して続けてきました。
私は考えます。もやしとは、
『原料の豆だけを養分として、自らの成長力で育つ野菜』
であると。私たちもやし生産者は、そのもやしと日々向きあい、もやしにとってよき環境になるよう、もやしの自力での成長を尊重し、支えるのが仕事だと考えてます。そして私は、
人がもやしを食べるということは、その成長力を頂くこと
だと解釈しています。言い方を変えればその生きる力が感じられないもやしはもはや「もやしではない」のではないか・・・・とも思うのです。
野菜とはどうあるべきなのでしょう?
野菜を人に提供するということはどういうことなのでしょう?
・・・・経験の浅い私にはまだ明確な答えが見えていません。
しかし、暗いムロの中で静かに、そして逞しく成長し続けるもやしの姿。
もしかしたら、その答えはこのもやしが教えてくれるのではないか・・・・・45年間、もやしと共に生きてきた私はそう信じています。